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2014年3月30日日曜日

吾輩流 知的生活の方法

吾輩流 知的生活の方法


1

20歳になるまえ、渡部昇一の「知的生活の方法」を買って読んだ。

「本は買わなくてはないものである」「身銭を切って買え」とある。

そのとおり、本を書店で買い続けた。

パソコンをインターネットに接続して本を買わなくなった。

しばらくのあいだネットの中を注視していた。(まあ、いまもそうだが)

ネットに接続する前、いまネットをやっている時間何していたかなと考える。


2


しばらく見なかった書店で本を買った。

ひさしぶりにみてみると本が高くなっている。

ネットの中はタダだ。

時節柄ネットは誕生したばかりなのでインフレーションのように発展している。

電子書籍も発生した。

紙の本は…どうも、ひさしぶりにいくと見当を忘れたせいか、

かつての熱気が失せているように感じた。

そして高価に感じる。

それならと、事典のように密度の濃い本を買うことにした。

水で薄めて何度も味わえる。

つまり古典である。




3



市販の本をひろげてみると大量に活字が並んでいる。

「なんだ、これなら自分でも作れるかもしれない」

内容は別として、ワープロのキーボードをタイピングすれば、

製品の本と同じように活字をならべられる。

あと少しの挿絵やもくじなど。

よくみると製品としての本は活字がダーとならんだだけでなく、

インデキスや注釈など、表紙、デザイン、金額など

さまざまな要素から成り立つ。

製品として書店に並ぶまで多くの労働をへているのだなとわかる。

でも、ネットで活字を並べ、広告をつけて(電子書籍にすればいいといわれるかもしれないが)

やってみた。

このサイトに累積ページビューがついているが、

このくらいは人がきたし、これしか来ないともいえる。

ネットの文章が読まれない?

実際、買った本を全ページ、重箱のように読みつくすだろうか。

買ってきてしばらく本棚に眠り、気が向いてめくる。

市販の本でさえそうなんだ、無限にあるネットのページでこれだけ

人が来たらいいだろう。




4


映画やゲーム、マンガ、小説(物語)で

起承転結とかオチ、あるいは楽あれば苦ある。

そういうもの。

それにたいし文学小説など専門的に一場面のオンパレードである。

冒険小説はバラエティーに意味深な場面が欲しい。

苦の連続の文学は辞書だ。

苦しいシーンを描きたい時に参考になる辞書だろう。

だが、普通に読んで面白い楽しい文学ではないだろうな。

生身の人生で楽しいだけは、まず無理だろう。

楽しんでいる人は自分で意識をやりくりしている。

辛いから自分は悪さしてもいい。

だれでも常に考えてしまう。

だが、それをやるとデススパイラルにはまる。

いわば悪人となり、世間や人、天国から拒否される。

悔い改める人は幸いだといえる。

恨みを募らせる人は落ちる。

楽しいだけの人生は生身では不可能だが、

作り話の小説ならそう、むずかしくはないのである。

だが、腐ってしまう。陳腐化する。

あるいは幼稚に見える。

なんとなく怠惰で魅力的に見えなくなる。

そこで防腐剤である。

専門書、辞書である苦や恐怖の描写をトッピングして

さしこむと、防腐剤としてひきしまった物語になると考えている。





5




自分が実生活でうまくいったとき、あれはラッキーだったと考えるか。

実力だったと力強くいうか。

確率の問題もあるだろう。

同じことを複数回実行しても成功できるなら実力だったと、成功率が低いなら

ラッキーでしたと謙虚に遠慮するかもしれない。

他の要素として、恐怖心がつきまというと、あれはラッキーで成功しましたとなる。



6




買ってきた古典を読んで眠くなるようなことが書いてあるのか?

難しくて読めないのか?

目の冴えるような世界が広げられているのか?

(古典の世界は時代が違う。今自分がいる世界と常識が違う)

それぞれだろうが、

現実の実生活でやりきれないひと、耐えがたしという環境の人もいれば、

まんざらでもない周囲の環境に恵まれている人など様々だろう。

マンネリでたいくつだが、さして苦しいわけでもない。

こんなひともいる。

マンネリが相当こたえる人もいる。

自分の意識改革をして、今いる逆境を乗り越えようとしても簡単なことではない。

逆に楽勝の渦から、転落して都落ちというおそれいることもあるだろう。

古典を読んだとて、つかのま、自分と違う環境に浸れるが、

そこに映る世界像ははたしてはればれとしているだろうか?



7


書店で掘り出し物がみつかるときがある。

めくってみて、あるいはタイトルをみて。

金額と相談し財布のがまくちを開く。

名前だけ売れていて、本屋に見つからない本というのもある。

まあ、大方古典ではある。

「夢十夜」「漱石の思ひ出」など、よく聴くが本屋の棚に見当たらない。

本屋にいつもあるが買いたくない本もある。

売る側にすれば、知名度を上げたいのに知られない。

そんなのもあるかもしれない。

ようはよその本からよくタイトルを引用されるかどうかだと思う。

よく知っているのに手に取ったことがない本。

本屋で初めて見る本。

書籍の巻末にある目録広告で知っている本などある。

ある書店のコーナーなど毎度のぞくといつも同じ顔があり、

これらの本はいつ並ぶのかというきになることがあるだろう。

在庫になると案外満足するのか買う気にならなかったりもするのである。

まぼろしの本となるから、経費をかけても手にしたくなる。

























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