価値観が多様化してきたが仕方のないことだ。
100年前なら、年寄りとか先輩のいうことをきくのが正解だった。
当たり前のことは当然として事実だったから。
今は時代が移り変わり古い知識で考えると通用しないかもしれない。
筆者はそれをいいとも悪いとも思っていないが、現実そうなりつつあると思ってはいる。
なぜそうなったか…
300年とか昔、
ほとんどの人口の人は農耕の仕事をしないと人類は喰えなかっただろう。
今は違う。
コンピュータ科学、医学、バイオテクノロジー、未知の科学の発達で、
実際過去の道徳や倫理が崩壊していっているのである。
昔、病気にかかればあきらめるしかなかった。
そのため、だれでもその常識にしたがう。
労働のスタイルも違う。
音楽を聴きながら、ガムや飲み物を飲みながら、それがマナー違反か、
背広かジーンズか…
昔は100年や200年で生活が変わらなかったのである。
ファンタジーの世界のように、隣の国では炎の女王が液体のお金をつかい、
隣では全く違う価値観のライオンのキングが活躍し…
そのように多様な価値観の国(集団)が比較的近くに混在する時代かもしれない。
もしかすると近未来、国とは価値観で移動して自分の住む世界を
選択する時代が来ているのかもしれないのである。
生まれた国が自分の国というより創始者、実行者の価値観で選ぶ。
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経済学者アダム=スミスは『国富論』を書いた。
それ以外に道徳哲学『道徳感情の理論』を書いた。
経済学者の道徳書など興味深いだろうか?
論理的でありそうで、経済学的思弁により金持ちのゆとりや遊興などについても
読む価値がありそうに見えてくるだろう。
実際まだ読んでいないが(国富論は少し読んだ)、
経済学者の考える道徳。
なぜか興味ある。
哲学者の考えそうなのは貧困でも苦痛でもいい、思想を生みだす超人のための
道徳のような気がするからそう感じるのかもしれない。
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