微分積分とパーミティションの関係など、
掛け算の九九の表のように敷き詰めた関係のようだ。
そして、自然界のマシン語のようであるし、ほとんどそうだとしんじている。
むかし、奇妙なことがあった。
数学を勉強していると大勢でバタバタ騒ぐ鶏みたいなのが頭に浮かぶ。
腹が立って癇癪を起しそうになる。
幻影は大げさだがそういう精神状態になった。
今はない。もっと昔もそれはない。一時的だった。
そして、自分は算数や数学、パズルが嫌いで苦手なように、
騒ぐ奴を取り押さえるのが苦手だった。
理科は好きで、化学、物理まで興味があるが、数学は無味乾燥で嫌だった。
カラフルで宇宙の秘密みたいな理科は興味本位で学べるが、
厳密パズル、数学など味も色気も感じなかった。
最近になって突如魅力を感じとりつかれたのが数学であり骨と肉であり論理だ。
騒いでいる生徒をおさえるのは教師の仕事で私は無理だ。
それが得意な生徒もいる。
どうも自分はお祭りのように騒ぐのが好きで整列するのもさせるのも自分が嫌いのようだった。
楽しむ時騒ぐのが自分は得意なのが自分のようだ。
映画やドラマのガリレオ。
彼は数学者(物理?)だが、まさにこれだ。
実は数学、や論理の鍛錬は男性機能として筋力のトレーニングに似る。
教師や国のトップ、リーダーや経営者に必須の能力だ。
この論理的筋力は、騒いでいる人を整列させる精神力の裏表だという。
自分自身筋が通っていないとない。
そして数学も暴力である。
政治に暴力は消えてなくならない。
人間理想と違い、集団はとりのようにざわつくのはあたりまえなのだ。
それを抑えるのに暴力は薬であり劇薬だ。
そして、論理や数学の力はインターネット、コンピュータ社会ですでにご存じのように、
圧倒的な力、パワーを生む。
それは暴力でもある。
鍛錬が遅れたもの不向きなものを抹殺しかねない。
だが、全体として人類は暴力を薬として使い、鳥のばたつきをおさえ、
人間として活動している。
わたしはいま、かなり奥深い秘密に触れている実感がある。
ドラマのガリレオ、湯川博士はひとをしずめる。
それはタイミングがベストなら男性機能で居心地の良い空間。
スポーツならナイスゲ-ムを醸し出すだろう。
劇薬から、さわやかな効能に話を移すが、
彼は相当鍛錬をしたようだ。
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