骨が設計図の世界、肉が製品あるいは現実現存の世界だとする。骨とは二進数とかスカラー(量)メンスラ(測°)とかの部品に還元されるだろう。
骨とは骨格。肉とは彫刻の骨組みに肉づけした完成作品のようなことである。
骨の世界は数学的にできていることが多いようだ。
なら現実の車が走り、人があるき、喫茶店が営業している現存の世界より、さらに肉の世界はなんだろう。多次元の36次元世界とか、もはや有機的意味はなくただからくりがこんがらがっている世界だろうか?
肉の世界からさらに肉の方向に行くと、物置だという人がいる。
設計図によって人が労働して組み立てている世界が実存。
モノがしまわれてある物置や倉庫が反対にある。
設計図の世界も、倉庫も時間が停止している感じがした。これについて、あとで時間論を考える。
設計図。現実の世界。原料ともおきかえられる。
レシピ、料理、原料とならぶ。
レシピは食べられない。原料もやや食えない。間が喰えるのである。
さて、ここで女性は男性より原料の世界に近い世界で生きているようだ。
男性はバットとボールで野球をしない。
ニュースや中継で野球をするのである。
つまり、女性にいわせると設計図だけで、実際に野球をしなくていいのかといわれるだろう。
女性はうまいへたもあるが、現実に野球をやっているかいないかに男性よりこだわる。
釣りに行くと本で読むより、本当に釣りに行くこと、実行することにこだわる。
どうも、論理の世界よりやや原料の世界で生きているのが女性だ。
現実、どこに設計図や論理の世界があり、
原料だけの倉庫が世界のどこにあるのだろう?
いわば精神世界が設計図の世界だというのか?
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